変わるもの、変わらないもの
時代によって変わるもの、いつの時代も変わらないもの、この世の中にはあると思います。。 ゲーム一つにせよ、ゲーム、と言うカテゴリは変わらなくても、その内容や遊び方は変わっています。 僕らの時代はクリアしたら終わる、基本的には友達や家族でわいわい楽しむ、いわば遊びのツールとしての位置づけだったと記憶しています。 今はどうか、と言うと、先ずはそのソフトをやってないと学校の同級生と話ができない、家に人を呼ばなくても友達とゲームができる。さらには世界中の誰かともできてしまう、とても幅が広がったのは良いところだと思ってます。 しかし、同じゲームでもアップデート、と言う沼にハマる仕掛けが施され、クリアしてもまた新たな試練が出てきたり、課金しないとクリア出来なかったり、変わった中でも子供がハマると抜け出せなくなる懸念材料が出てきたのも事実。 僕もゲームは好きですが、基本的にはクリアしたら一気に熱が冷めて、現実に戻れるのは分かっているゲームが殆ど。 着目点は偏っていますが、今のゲーム界にはもやもやとした不安が漂ってると感じてます。 今のゲーム界で、うまくゲームと付き合える子どもは何人いるのか、はまって抜け出せなくなる子が殆どではないか。それだけ魅力的なものなのでしょうが、子供のこれからの人生に悪影響を及ぼす部分が多すぎると思います。 僕はマリオカートをしていた時は良かった、楽しかった。 ある日を境に僕とのゲームの約束を断るようになった。 そんなことがあり、僕はこれ以上ない不安を感じています。 僕には親権がなくて、口出しができない事に気付かされ、今は不変であるピアノを弾いて不安な気持ちを忘れています。 息子とゲームをしない=娘と話すことも叶わない、僕らは別れたのだから、当たり前の現実ですね。 ただ、子供に対する思いは不変です。 遠い兵庫の地で毎日が楽しく、元気に過ごせることを祈ります。